poco a poco.

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人を葬る言葉。 

言葉は食べ物と同じように体に重大な影響を与えるものだなと思う。

一部は栄養として吸収され、
一部はエネルギーとして消費され、
ほとんどは排出される。

食べ物にあるように、言葉にも毒がある。
知らないうちに蓄積された毒に蝕まれて、
あるとき、突然に、
違和感や不快感をもって体が訴えてくる。

言葉の表面にではなく、
言葉と言葉のつなぎ目に、
その毒は潜んでいる。

正しいことが書かれているからといって、
そこに毒がないわけではない。
鋭く厳しいからといって、
毒があるわけではない。
毒舌の中に、毒はあまりない。

ようは、愛情ではないだろうか。

愛情のない言葉は、知らないうちに体と心を蝕む気がする。愛情のない怒りは、ただの凶器になる。
愛情のない正論は、物事の多面性を無視して画一的に展開され、相手に拒む隙を与えない。

正しいことが正しいと捕らえられず、
平和を訴える人の言葉がもみ消される世の中。
それはきっと、世界中に星の数ほどある物語で、どれが特別ということはない。何百年も延々と繰り返されてきた愚行に、繰り返し抵抗してきた人たちがいる。

だから、いつの間にか、正しいと叫ぶ言葉は掠れ、乾き、荒々しくなり、凶器となる。
愛情という潤いをなくして。

インターネットを開けば様々な人間がいて、多様な意見を見聞きすることができる。
でも、それを見ると同時に自分と向き合うことを忘れてはいけない。言葉に踊らされているうちに、毒は深く入り込んでくる。

わたしは、対話を拒み他人を痛めつける言葉が嫌いだ。たとえ正しかろうと、愛のない言葉で繰り返し他人を愚弄するのは見ていられない。

人の死には、生きているものとして畏れを持つべきだと思う。
真実は追究されるべきだろうけれど、
シーツを掛けただけの遺体をストレッチャーで運ぶ映像を何度も流し続けるTV局に節操があるとは思えない。テレビに晒され続けた人をテレビが葬るとき、敬意を持った言葉と畏怖の念が用意されていいのではないかと思う。
人の死を粗末に扱いすぎで、気分が悪かった。
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[ 2007/06/05 10:22 ] Japan / others | TB(0) | CM(0)
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