poco a poco.

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うらぼん。 

小さいとき、この時期になると大人が「うらぼん」ってよく言っていたのを思い出しました。
わたしは盆の裏だと思っていて、盆の裏ってなんだ?と思いながら今まで調べたり聞いたりしたことがありませんでした。

なんとなく後厄・前厄みたいに、お盆が過ぎたあたりにちょっと遅れて墓参りすることかな。なんてことも思っていました。

そして昨日調べたら全然違いました。

〔仏〕〔梵 ullambana〕もと中国で、盂蘭盆経に基づき、苦しんでいる亡者を救うための仏事で七月一五日に行われた。日本に伝わって初秋の魂(たま)祭りと習合し、祖先霊を供養する仏事となった。迎え火・送り火をたき、精霊棚(しようりようだな)に食物を供え、僧に棚経(たなぎよう)を読んでもらうなど、地域によって各種の風習がある。現在、一般には八月一三日から一五日に行われるが、七月に行う地域も多い。お盆。盂蘭盆会(え)。盂蘭盆供(く)。精霊会。精霊祭。歓喜会。魂(たま)祭り。[季]秋。

まさにお盆のことなんですね。盂蘭盆ってすごい漢字だなと思ったら、
当て字でした。

Wikipediaで調べると、
盂蘭盆は、サンスクリット語の「ウランバナ」の音写語で、古くは「烏藍婆拏」「烏藍婆那」とも音写された。「ウランバナ」は「ウド、ランブ」(ud-lamb)の義であるといわれ、これが倒懸(さかさにかかる)の意である。
近年、イランの言語で「霊魂」を意味するウルヴァン(urvan)が原語だとする説が出ているが、サンスクリット語の起源などからすれば、可能性が高い説である。

サンスクリット語と言えば、インドだったはずだから仏教がストレートに入ってきた言葉なんですね。しかもイラン語のウルヴァン=うらぼんになったなんてちょっと楽しくなってきます。

岡本太郎さんの「沖縄文化論」という大好きな本があるんですが、
そこに仏教はそもそも日本的なものではないと書いてありました。

京都の寺院の荘厳さが好きな方もいると思いますが、岡本さんは毒々しいと言っています。あれを日本的と考えられると、本来の日本人の中にある民族性や神というものへの考え方などが見えなくなるとも。

この本の中で岡本さんは沖縄の久高島という小さな島のことを書いています。わたしは那覇の居酒屋で会ったおじさんにこの島のことを教えてもらい、行ってきたことがあります。

この島にはお盆がない。そもそもお墓がない。そのおじさんは沖縄の神様が生まれた場所とだと教えてくれました。
亡くなった遺体は風葬され、ある場所に放置されるのです。
日本中の何処に行ってもある寺や神社は沖縄にはなかったもので、琉球王朝崩壊後、本土から持ち込まれたものです。

ここに神はいるなとわたしは思いました。
社もなければご神体もない。本当になんにもない。 人間の損得とか欲とか微塵も受け付けない透明な神。
わたしにはそういう神に感じました。

わたしは神とか仏を心に持っていません。
岡本太郎さんが沖縄文化論にこんなことを書いていて、すごく共感しました。
「もしわたしがここに住んだら、このまますっとなんのためらいもなくこの信仰に入っていく、いけるだろう。 いわゆる既成宗教に嫌悪と抵抗を感じているわたしが、そう思う。」

わたしは読みながら何度も頷いていました。
あの島の土や海や阿檀の森から、神ってこういうものかも。と強く感じてきたからです。
岡本さんは出雲大社と、伊勢と、熊野は本来の神の姿を残していると書いています。わたしは、人間の手に届かない深い自然の中にこそ神がいる。そんな風に感じます。だから、岡本さんもこの三つを上げたのではないかなと思うのです。

仏事である盂蘭盆ですが、もちろんお墓参りには行ってきます。
先祖を大切にする風習はとてもいいことだと思いますし、
亡くなった祖父母に声を掛けたりするのは1年でたったの一度だけですから。
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[ 2007/08/10 15:18 ] season | TB(0) | CM(2)
こんばんは。久高島楽しみです。
[ 2007/08/10 22:41 ] kuko [ 編集 ]
kukoさん、のんびりまったり楽しんできてください。
こちらは朝帰りです。
[ 2007/08/11 11:39 ] rorie [ 編集 ]
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